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●聴衆としての小澤征爾

 ガン治療に専念していた小澤征爾が松本のサイトウ・キネン・フェスティバルで復活した。
 9月5日は、松本で小澤征爾=サイトウ・キネン・オーケストラを聞いた。当初はベルリオーズの「幻想交響曲」と武満徹の「ノヴェンバー・ステップス」を小沢が振るはずだったが、持病の腰痛が悪化。長時間の指揮にはドクターストップがかかった。冒頭、プログラムにチャイコフスキーの「弦楽セレナード」を追加し、その第1楽章だけを演奏した。指揮台には椅子が用意され、座って指揮をしたが、曲のクライマックスが来ると、立ち上がって、いつもの踊るような小澤になった。「弦楽セレナード」の第1楽章は7分間。
 驚いたのは、指揮を交替した後、小澤が客席に入ってきて、演奏会の最後まで、下野竜也が指揮する武満とベルリオーズを聴いていたことだ。私の席の5列ほど前に座っていた。なんと、「世界のオザワ」と一緒にサイトウ・キネンのコンサートを聴くことになったのだった。
 本来は自分のために集まってくれているはずの聴衆と空間を共有したかったのではないか。また、本当はフェスティバルの中では、レジデント指揮者として「子どものための音楽会」とオペラの副指揮者を担当するだけだったはずの下野に、突然大役を押しつけてしまった小澤としては、客席から下野を応援したかったのではないか。自分の担当曲だけで頭がいっぱいだったはずの下野には、きょう、あすの武満とベルリオーズ、そして8・9日にはブラームス交響曲1番と現代曲の世界初演まで降ってきた。スコア読みのために徹夜が続いたことだろう。
 小澤が振る武満、ベルリオーズを聴けなかったのは残念だが、「聴衆・小澤」と空間を共有できたことは貴重な経験だった。そして、松本文化会館の2000人の聴衆は、実に暖かく小澤と下野を包み込んでいた。私が大学2年生の1984年にサイトウ・キネンが立ち上がって以来、一度もチケットを取ることが出来なかった。以来26年、初めてチケットが手に入った今年、小澤の指揮で聴けたのは7分。しかし満足できた演奏会だった。日帰りのハードなスケジュールだったが、帰りの中央線に揺られながら、心は満たされていた。夜の新宿行きの中央線特急「あずさ」には、多くのプレス関係者が乗っていた。彼らは社内でノートパソコンを開き、サイトウ・キネンの記事を打ちながら「あずさ」に揺られていた。
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Author:yamamotojuku
朝日新聞記者、Z会東大マスターコース講師(小論文)、伊藤塾講師(小論文)などを歴任。現在は辰已法律研究所などで小論文を教えています。

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