FC2ブログ

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

○お墓の「平等」について(2009年4月27日)

 お墓を買うためには、どうしたらいいのか。お墓は誰が売り、管理しているのか。国家なのか、民間なのか。そして、お墓はいくらするのか。お墓を手に入れる機会は平等なのだろうか。
スポンサーサイト

◎草剛の逮捕(完)(2009年4月26日)

 他者加害、という観点からすれば、草剛の違法性は非常に小さい。目にした人数人が不快な思いをした、ということになる。具体的な他者加害はミニマムなので、強制わいせつ罪は「社会的法的に関する罪」ということになる。
 さて、このような「社会的法益」についての罪の容疑の場合、草剛は本当に逮捕に値するだろうか。
 このあたりは刑事訴訟法の基礎知識であるが、逮捕は、逃亡または罪証(証拠)隠滅の防止のために行われる。個人的法益に対する罪、つまり、具体的他者加害がある場合についてさえ、逃亡・罪証隠滅の恐れがないと逮捕はできないことになっている。とすれば、社会的法益に対する罪の場合は、なおさらこの原則が徹底されるべきなのではないか。

○就活とロースクール入試(2009年4月26日)

 世界不況の影響で大学生の就職活動がうまくいっていない、という話が連日のように新聞を賑わせている。
 ロースクール予備校講師として気になるのは、就活状況とロースクール入試の関係だ。公務員志望者は、今年は増えそうだ、と言われている。ロースクール志望者はどうか。適性試験の出願人数が発表されれば、全体状況が見えてくる。
 このブログで何度か触れたように、上位ロースクール入試未修の定員は、昨年との比較では、大きな削減はなさそうだ。早慶中央が定員を減らさない見通しであること、東大も昨年比で大きく減らすことはなさそうであること(すでに先取りで昨年2割減らしている)が大きい。とすれば、志願者が増えるのか、減るのかが決定的に入試の難易度を左右する。
 上位校の定員に大きな変動がないにもかかわらず、「定員削減」報道が今、なされていることから、もしかすると志願者が減るかもしれない。
 とすれば、今年のロースクール入試も昨年同様、おいしい。
 また、就活の影響を受けて、増えるかもしれない。就活とロースクール入試は、二股かけられないわけではない。ただ、やるべきことがかなり違うために、適性試験の後に参入する人たちは、小論文l、ステートメント、英語の対策に苦しむことになるだとう。
 とすれば、いずれにせよ、今すでにスタートを切って、正しい努力を重ねている人の優位はゆるがない。

◎草剛の強制わいせつ事件(2009年4月25日)

 草剛の事件でマスコミは持ちきりだ。
 さて、この事件をどう考えるべきか。草剛の逮捕をどう考えるべきだろうか。

◎法科大学院定員削減の報道(2009年4月23日)

 今朝の読売に、以下のような報道が出ている。取り急ぎ。

 全国74校の法科大学院が2010~11年度にかけて実施する定員削減計画の概要が22日、明らかになった。

 計画により、総定員は現在の5765人から約18%減の4700人台となる見通しだ。

 法科大学院を巡っては、過剰な定員が司法試験の合格率低迷を招いたと指摘されており、中央教育審議会(文部科学相の諮問機関)特別委員会が、定員を絞って教育の質を向上させるため、抜本的な定員削減を求めている。日本弁護士連合会も定員を4000人程度に削減するよう提言しており、削減数の上積みを求める声があがりそうだ。

 調査は法科大学院協会が74校を対象に、今年1月と3月にアンケート方式で行った。

 このうち、具体的な削減計画を明らかにしたのは41校の622人。削減の方向だが具体的な人数を決めていない大学院が22校あり、同協会関係者は最終的な削減数は1000人程度になると見ている。

◎DNA鑑定と裁判員(2009年4月22日)

 4月21日の朝日夕刊に、足利少女殺人事件のDNA鑑定が、被告人と一致しなかった、という特ダネが載っていた。被告人はすでに有罪判決を受けて収監されているが、今回の「不一致」の結果を踏まえて、再審請求をすることになった。
 刑訴を勉強している人はショックを受けたはずだ。今や、DNA鑑定について、証拠能力を認めない、という見解は少数。この足利事件は、DNA鑑定のリーディングケースになっている。
 私も、この事件には関係している。紙面編集をしていた時、警察担当の記者が「DNA鑑定に基づいて足利事件の容疑者逮捕」という特ダネを打ってきたのだ。編集セクションとしては、DNAが根拠、という話は聞いたことがないので、出稿デスクに念を押した。記者は警察幹部に裏付けを取って「大丈夫」という返事をしてきた。一面トップにした。
 警察幹部への取材からは、このような結果になったのだろう。しかし、今から振り返ると、結果的に当時の我々の報道が、警察による冤罪をチェックできずに追認した、ということになる可能性が出てきた。
 不確かなDNA鑑定を、あたかも確実であるかのように報道した、という事実は消えない。この種の報道では、捜査機関からのリークの裏付けを取る手段がマスコミにはない。だからと言って、報道しないわけにもいかない。唯一の方法は、あくまでも警察の見解にすぎない、ということをしっかり明示しつつ書く、ということになるのだろうか。

◎超党派の「臓器移植法改正案」(2009年4月21日)

 臓器移植法が改正される公算が大きくなってきた。今朝の朝日に、超党派の改正案が報道されている。いわゆる「アドバルーン記事」。政治家が朝日を使って世論の動向を探るためにリーク。そして朝日にとっては特ダネになる、という形。
 ドナーカード不要、14歳以下ゴーサイン、という内容は、まさに「ロースクール小論文講座」で何度も検討してきた内容だ。生命倫理の総復習になる記事なので、必読だ。Z会東大マスターコースの小論文でも、近いうちに必ず講義する論点である。
 まさに「町野案」の筋書きが法律になっていく、というプロセスだ。超党派法案なので、国会の情勢に影響されることなく通過していくのではないだろうか。
 私個人としては、そろそろ「逆ドナーカード」を携帯しなくては、と感じ始めている。

●オシムの言葉(2009年4月20日)

 「ゴール前での決定力がないのは、日頃の練習の積み重ね」
 「自分を信じることができますか?」
 「超一流のプレイヤーは、家族との時間さえ全面的に犠牲にしている」
 人生をサッカーに捧げてきたオシム氏の言葉である。(昨夜のテレビから)
 私は「超一流」ではないので家族との時間を全面的に犠牲にすることはできないが、せめて「一流」になるために、無駄にしている時間がないかを点検しながら日々、生活していかなければ、と思う。

◎遺体の展示の問題点(2009年4月19日)

 六本木のルーヴル美術館展で、エジプトの少女のミイラが展示されている。
 数千年の時を経ているからいい、という考え方もある。しかし、遺体の展示は人間の尊厳を害する、と私は考える。
 20世紀の世紀末以降、遺体の展示について、様々な異議申し立てがなされてきた。ネイティヴ・アメリカンは、先祖が「標本」として博物館に展示されていることに抗議の声をあげた。日本では、ハンセン病患者たちが、子どもの標本化を問題にした。ハンセン病患者たちは、子どもができたときに、国家によって強制的に堕胎させられた。そして、堕胎された胎児たちは、「研究のための資料」として、ホルマリン漬けの標本として保存された。
 少女のミイラの展示、と聞くと、このようなことを思い出す。当時の少女や家族は、数千年の時を経て、展示されることを望んでいたのだろうか。
 そして、仮に立場を変えてみて、古代の日本の少女のミイラが存在する、として、日本の人々はそれが海外で展示されることを望むだろうか。
 多文化主義、オリエンタリズム、ポストコロニアリズムなどの論点と関連するデータである。
 近時、中国の頤和園から持ち去られた装飾品、そしてマハトマ・ガンディーの遺品のメガネがオークションにかけられた際に、それぞれ中国人、インド人が反発したことなども思い出される。
 子ども、というコンセプトでまとめようとしている「ルーヴルの子どもたち」という企画には、無理があるのではないか。
 遺体には所有権があるのか。もしあるとすれば、だれの所有なのか。古くなったから、ということで遺体を展示することは適切なのか。
 いろんなことを考えてしまう。考えすぎだろうか。

◎朝日記事「法科大学院定員削減へ」の分析(2009年4月18日)

 昨日、ロースクールの定員についてブログを書いたのとピッタリのタイミングで、朝日が1面トップに記事を掲載した。見出しは「法科大学院定員削減へ 東大・京大は2割 国立大来年度」。
 内容的には、びっくりするようなものはない。しかし、以下のような点で新しい情報が含まれている記事だ。
 ①東大も2割削減、という情報は、新しい情報である。京大が2割、というのはすでにHPに出ており、このブログでも既報だったが、東大2割は報じられていないニュース、といえる。東大未修について言えば、東大は昨年実施(2009年度入試)ですでに2割減を先取りしていたため、人数的には昨年から変更はない、と考えられる。
 ②早稲田大、中央大が今年、定員削減をせず300人を維持する見通しであることも、新情報であるといえる。早稲田のHPによれば、2010年度については、既修者認定試験の合否は最終合格に影響しない、としていることから、今年の入試については、早稲田、中央の定員は、ほぼ昨年通りになりそうだ。
 以上、まとめると、未修について言えば、慶応の定員は変更がないことを考えると、これまで分かっている範囲では、京大が60人を35人にしたことが唯一の定員減である。東大、早稲田、中央、慶応の未修は、2009年度入試から人数面の変更はなさそうだ。
 トップ校の定員減少は、私の予想よりも遙かに小幅になる模様だ。特に関東の未修については、これまでの発表を見る限り、まったく減っていない。「解放・多様性」という理念、そして、他学部・社会人3割、という基準に変更がないことが大きい。
 以上のように状況を整理すると、制度変更の定員への影響はミニマムである、というまとめが可能である。大勢は固まった。未修入学のチャンスは今年の受験生にも開かれていることが、4月17日の朝日1面によって分かった。

◎ロースクールの入学定員に注目(2009年4月17日)

 少しずつ、今年のロースクール入試が姿を現しつつある。未修を中心に、現段階で気づいたことを書いてみる。
 京大、名古屋大、慶応大、早稲田大などで少しずつ情報が出始めている。京大は定員が2割減。未修が70から35、と大きく減った。名古屋大は、定員が80から70へ、と微減。内部振り分け廃止は発表されたものの、まだ割り振りが発表されていない。未修の最終選考では、400点満点のうち小論文が200点、適性は50点。小論文の比重が重くなることは決まった。慶応は定員に大きな変動はない。早稲田の定員の発表が気になる。
 これまでに分かっている動向を見ると、主要校で定員を最も減らしたのは京大の2割限。ロースクール全体での定員削減は、10-15パーセントになるのではないか(極めて少ない情報しか出ていない現状からの予測にすぎない)。
 京大ほど未修を減らせるところは少ないだろう(これも、予測にすぎない)。なぜなら、未修を大きく減らす、ということは、現役法学部生の中間層を排除することになり、よほどの自身がないとこのようなアドミッション政策は取れない、と思われるからだ。
 公平性・開放性・多様性、という2004年の時点で掲げられた理念は、放棄されているわけではない。とすれば、それなりの枠が未修受験者に残されることになるだろう。
 情報に一喜一憂することなく、しっかりとした足固めを今のうちに積み重ねておきたい。昨年までとの比較で、根本的な「革命」が起こっているわけではない。

○ルーブル美術館展に少女のミイラ(2009年4月16日)

 今、六本木で行われているルーブル美術館展は、子どもが特集されている。ルーブルが所蔵しているコレクションのうち、子どもを描いた絵画などをまとめて、今回のルーブル展で展示されている。
 その中で、エジプトの少女のミイラ、という展示物がある。どうも気になる。これも「ルーブルの子どもたち」というテーマの下に集められた美術品の1つ、ということだが……。
 この話には、どんな論点があるのか、考えてみてほしい。

◎ペーパーチェイスの世界(2009年4月16日)

 ペーパーチェイスという古い映画がある。これは、ハーバード・ロースクールの院生たちの生活をモデルにした物語。
 教室で当たる際の緊張、学習と生活のバランス、勉強会の組み方の難しさなど、日本の法科大学院生にも大いに参考になる内容だ。レンタルショップなどで入手できたら、気分転換がてら観てみるといいかもしれない。受験生にも勧めているが、どちらかというと、ロースクールの新一年生にとって、現実味があって参考になるのではないか、と思う。
 同じような内容の本として、スコット・タロー『ハーバード・ロースクール』(ハヤカワ文庫)がある。これは、ロースクールの1年目に絞って、具体的な法律論なども交えつつ、ロースクールとはどういうところなのかをビビッドに描いている。
 新しいものとしては、ダグラス・フリーマン『リーガル・エリートたちの挑戦』(商事法務)。東大法学部出身、日本の旧司法試験に合格したフリーマン氏が、コロンビア・ロースクールに入学。日本の弁護士は通常、LLMという1年コースに留学するが、フリーマン氏はJDという3年コースに留学し、トップの成績を取ってロー・レビューのエディターの1人に選ばれた。この本は、その3年間の体験記である。内容も非常に具体的でおもしろい。

◎アナログ表示のパターナリズム〈完〉(2009年4月15日)

 我が家のテレビの右上に常に映っている「アナログ」という文字。これは、パターナリズムである。
 デジタル対応テレビを持っている人が、うっかりアナログ放送で観ている場合に、「これはアナログです、デジタルに切り替えてはどうですか」と知らせる機能は確かにある。つまり、デジタルテレビ所有者が、間違いなくデジタル画像を見ることができる利益のために、その人が「アナログ」という文字がないスッキリした画面でアナログ放送のテレビを受信するという利益を制限している。
 ただ、どこかおかしい。そう、私のようなアナログテレビの所有者にとっては、パターナリズムにすらならない、ということに気づくと、無性に腹が立ってくる。「アナログ」という表示を常時、画面で見ても、私にはデジタルに切り替えるという利益はない。
 そこまで考えていると、別のパターナリズムがあることが分かった。そう、「アナログ」という文字を常時、画面で見せられているアナログテレビ所有者は、アナログテレビを観ていることが時代錯誤であることを知るという利益、デジタルテレビに買い換える機会を得るという利益があり、このような本人の利益を理由に、スッキリした「アナログ」表示がない画面を観るという利益を制限されている。
 これは、かなりひどいパターナリズムではないだろうか。デジタル普及率の数値目標を達成したい総務省のお役人様が考えそうなことだとは思うが、私はやはり、「アナログ」表示がない、スッキリした画面で野球やニュースを観たい!

○都内の、ある寺で(2009年4月14日)

 「東京芸術大学に合格しますように」。「韓国から来ました。大学を受験します」。都内の寺の境内を通った。様々な願いごとが書かれた絵馬が結びつけてあった。
 希望の春。

◎アナログ表示(2)(2009年4月13日)

 アナログ表示は、パターナリズムである、と考えることができる。パターナリズム理論を当てはめてみてほしい。

◎テレビ画面右上の気になる表示(2009年4月12日)

 我が家のテレビは、右上に「アナログ」という表示がある。なぜこのような表示があるのだろうか。
 善意に解釈すると、アナログとデジタルを区別するため、という説明がありうる。せっかくデジタル対応テレビを買ったのに、操作ミスでデジタルを見てしまう、ということがありうるために、表示をすることで、デジタル対応テレビの所有者はいつもデジタルで観ることができるようにする。これは一見、親切のようにも思われる。
 しかし、社会科学理論のうえでは、以上のような政策(総務省の政策。かならず何らかのレベルで総務省がかんでいるはずである)には問題がある。
 テレビ画面右上の「アナログ」表示は、何が問題なのだろうか。(続く)

◎歴史にイフはあるのか(完)(2009年4月12日)

(4月1日、4月5日からの続き)
 さて、そろそろ「歴史にイフはあるのか」を締めたい。
 人間個人のレベルでの「後悔」は、ネガティブな面よりも、むしろポジティブな面がある、という、脳科学者の茂木健一郎の見解を先日、紹介した。
 これとほとんど同じ言い方が、社会科学でもなされている。
 「歴史にイフはない」という俗説がある。しかし、イフを完全に排除した歴史は、現状をただ肯定するだけの歴史学になってしまう。
 あの時、別の選択肢があったのではないか。このように問うていくことで、同じような事態に今後直面した場合に、ベターな政策を実施することができるのではないか。また、茂木健一郎がいう「価値観」の改善の問題は、社会科学では、体制選択の問題として語られる。
 社会科学は、自然科学の一部の分野とは違って、実験することができない。したがって、歴史を使って実験をしないと、理論を磨くことはできない。つまり、社会科学理論を歴史にあたはめて、常に磨いておかないと、社会科学は進歩しない。
 このような社会科学の方法論について関心がある人は、篠原一『ヨーロッパの政治』(東京大学出版会)の冒頭、特に5ページの「家系図としての歴史」を参照してほしい。

○ロースクール1年生の第1週(2009年4月12日)

 各ロースクールで、新年度第1週が終わった。ピカピカの新一年生にとっては、長く疲れる一週間だったはずだ。
 すでに、勉強会の結成などの動きが始まっているはずだ。いい先生、いい仲間と勉強することは有意義なのだが、仲間に頼っても勉強は進まない。結局、勉強というものは一人でするしかない。別の言い方をすれば、良書さえあれば勉強はできる。問題は、何が良書か、そして今の自分にはどの本が必要なのか、である。
 新一年生の皆さん、新年度、そして第1学期を、なんとか生き延びてください。そして、超えられそうにない壁に突き当たったら、気軽に連絡をください。

◎勉強と知識・記憶(2009年4月10日)

 大学受験予備校の講師室で先日、数学の先生と雑談をしていて、最近の受験生気質が話題に上った。今年の東大の合格者ランキングで、地方の高校が検討しているらしい。なぜ、そのような傾向が出ているのかについて感想を語り合った。
 その先生が言うには、最近の受験生は、かつての受験生と比べて「覚えろ」と言っても、なかなか覚えようという努力をしないらしい。要領いい方法はないか、を探すことばかりに熱心で、ゴリゴリと基本を理解しては暗記していく、というヤボったい勉強を嫌う、という。ここから先は、その先生の想像なのだが、地方・郡部の高校生は、相対的に素直で、基本の理解・記憶を怠らない習慣を身につけているのではないか。
 小論文でも同じことが言える、と私が応じた。スマートな勉強法、エレガントな解き方。そんなものは小論文にはないにもかかわらず、楽な受験対策を探している人に時々、出会う。一見、エレガントな解き方がありそうな数学ですら、知識を詰め込むことなしに学力向上の道はないのなら、文系科目はなおさらそうだ。要領を求めて、物量を嫌う傾向がある人は、なかなか結果が出ない。
 帰納的に、毎日確実に知識を蓄積していく。これこそが近道である。まとめると「気力が続いた者が勝つ」ということになる。

●親子で夢へと歩むミュージシャン(2009年4月9日)

 JRのターミナル駅の駅前広場で昨日の夜7時ごろ、ストリート・ミュージシャンがキーボードを弾きながら歌っていた。耳あたりのよい声に、何人もの人が足を止めて聴いていた。「あえか」という名前のシンガー・ソング・ライターの女性だった。
 付近で所用を済ませて9時半ごろに駅に行くと、まだ歌っていた。さすがに疲れが見えていたが、懸命に自作の歌を歌い続けていた。
 私も足を止めて10分ほど聴いた。チラシを配っていた人に「プロダクションの方ですか?」と尋ねると「母親です」という答えが返ってきた。
 親子で夢を追っている姿に、応援したくなった。ポップスはほとんど聴かないのだが、昨日はCDを買った。

◎待機児童の激増(2009年4月8日)

 大都市圏の保育所で待機児童が激増している。昨年秋以来の世界不況で、世帯の収入が減っているために、専業主婦だった人が子どもを保育所に預けて働こうとしているが、保育所に空きがない。
 自宅近辺の保育所、5カ所、10カ所と申し込みをしても、物理的に申し込みに対して空席が圧倒的に少ないのだから、入園許可は出ない、ということになる。一時保育やベビーシッターなどをつないで綱渡りの保育を調達しつつ働いている人もいる。
 テレビのニュースの特集で、保育所が見つからないお母さんが次のようなコメントをしていたのが印象に残っている。「見捨てられているな、と感じました」
 働く権利が保障されていない。リバタリアニズム政策からは、放置することになる。つまるところ、財政支出を機械的に削減するのかどうか、という問題になってくる。

○辰已の「10時間ゼミ」(2009年4月8日)

 5月3日と6日、辰已でゼミを実施する。GWに行う恒例の定員20人の少人数ゼミであり、毎年このゼミからはトップロースクールに多数の合格者が出ている。
 今年は「第一の近代と第二の近代」。2つの近代を比べることで、ロースクール小論文の過去問に何を書くべきかを検討する。U.ベック、A.ギデンズなど、近年の社会科学で脚光を浴びている理論を中心に書籍購読、過去問演習などを行う。4月6日から受け付けが始まっている。

◎社会科学学習の「量」について(2009年4月8日)

 新学期になって、社会科学の教科書が書店に溢れている。法律も例外ではない。
 刑法判例集の定番西田典之・山口厚・佐伯仁志『判例刑法総論』『判例刑法各論』(いずれも東大出版会)の第5版が出ている。版を重ねるごとに判例が増えて、各論の方を見てみると、今回はなんと600近くの判例が搭載されている。これを学部生に読め、というのだから、かなりのレベルを学部生に要求している。
 このような東大の刑法学教室の方針は、無理難題の物量を学生に強いているのだろうか。
 そうは思われない。
 社会科学は、物量の学習をやらないと話にならない。判例を総論・各論合計で1000以上、読むことによって、刑法学の、判例の論法が理解できるようになる。逆に言うと、すべての範囲において、物量の学習がないと、分かるようにならないのである。
 これは、他の社会科学分野についても当てはまる。社会科学の理論は、真実が1つ存在する、という性質のものではない。定説、というのは確かに存在するが、それは数学のように演繹的に導かれるのではなく、機能的に、過去の議論の経緯を経て定説化するのである。
 時々、受講生から次のような質問を受ける。「たくさん事例や理論を勉強すると、試験でそれを書きたくなってしまい、問いに答えられなくなるのではないでしょうか」。
 少し社会科学を経験した人は、この質問に必ず「ノー」と答える。たくさんの事例や理論を勉強して、はじめて、問いが何を聞いているのか分かるようになるし、外さない答えを考え書くことができるようになるのである。逆に言うと、広い分野について、たくさんの事例・理論を学習しないと、試験はバクチになってしまう。社会科学の試験は、その場で考えたことを書くことが求められているのではなく、学習した内容を書くことが求められているのである。
 たくさんの事例・理論を勉強すると、その内容が頭に集積して次第に発想が定着し、外さずに問いに答えることができるようになっていくのである。

◎台湾における皇民化政策(2009年4月5日)

 NHKスペシャルが底力を見せている。日本の近代を検証する「プロジェクト日本」。きょうは、台湾における50年の植民地支配、特に皇民化政策がテーマだった。
 台湾人は日本の支配を喜んで受け入れた親日的な民族、という俗説を根底から覆す番組だった。創氏改名は、台湾でも行われていた。また、総督府は台湾の寺院を壊し、その廃材を使って日本風の神社をつくり、参拝を強要した。
 次回は、天皇と憲法。立花隆らを招いて、天皇と近代、という、これまで日本のジャーナリズムが避けていたテーマについて切り込むようだ。
 NHKが今、元気だ。従軍慰安婦をめぐる事件によって、逆に政治家がNHKに介入することが難しくなったのではないだろうか。

○履修登録の季節(2009年4月5日)

 先週、4月の2、3、4日あたりに、新1年生向けのガイダンスを実施したロースクールが多いようだ。時間割の組み方などで、悩ましい季節である。各科目がどれだけ負担があるのか、実際に取ってみないと分からない。にもかかわらず登録をしなければならない。先輩の情報などを頼りに、自分の時間割を固めていくことになる。
 特に、働きながらロースクールに通う人、そして、家庭とロースクール生活を両立させなければならない人は大変だ。時間はトレードオフ。何か1つのことに集中すれば、必ず他のことがおろそかになる。ほどよいバランスを模索していくしかない。
 ロースクールの履修は、もともと無理がある。未修が90単位以上。しかも、その単位の内容が無理があるのだ。たとえば憲法人権が2単位、刑法総論・各論がそれぞれ2単位、というのが通常のようだが、これらの科目は、学部の授業では、すべて4単位以上が配当されている。2単位でできるはずがないのに2単位になっている科目がたくさんあり、それが集まって90単位を構成する。
 完璧にやろうとすると、ストレスが非常にたまるシステムになっている。割り切りが必要になってくる。

◎贈与税軽減への評価(2009年4月5日)

 贈与税軽減が永田町で議論されている。親が子どもに家を購入するための資金援助をする場合に、生きているうちなら相続税ではなく贈与税を支払うことになるが、この贈与税を軽減することにより、高齢者の資産を市場にはき出させて、景気対策にしよう、という意図から出てきた政策である。
 有識者の間では、賛否両論あるようだ。小論文の問題として出題されてもおかしくない、社会科学の基本的な立場が関係する政策なので、考えてみることにしたい。
 まず、昨日(4月4日)の朝日新聞が指摘していたように、この政策は金持ち優遇という効果がある。子どもに住宅資金の支援をすることができる高齢者は、富裕層である。そして、そのような富裕層の親を持つ子どもも富裕層であることが多い(社会学者・佐藤俊樹の『不平等社会日本』!)。とすれば、この政策は、富裕層親子が、相続税・贈与税を支払うことを減免する効果を持つ、ということができる。
 次に、この政策は、マクロ的に見ると、高齢者の貯蓄が若年層に移転することを促す。高齢者が自分の老後のための貯蓄を、子どもに贈与することが政策的に促される。高齢者福祉が充実しているのであればいいが、後期高齢者医療制度に典型的にみられるように、高齢者福祉が次々と削減されている社会において、このような政策が採用されると、高齢者がぎりぎりの自営のために蓄えた老後の資金が、結果として子ども世帯に移転してしまうことになりかねない。
 以上のような点を利益考量して、それでもなお贈与税軽減が必要なのかどうかを考えていく必要がある。

◎歴史にイフはあるのか2(2009年4月5日)

(4月1日から続く)
 年度はじめに様々な事務が重なり、少しブログをさぼってしまった。申し訳ありません。日曜日を迎えて、少し時間ができて、パソコンに向かう心の余裕ができた。
 さて、脳科学者・茂木健一郎氏の「後悔をすべし」という提言についての続き。
 茂木氏は、通常「後悔先に立たず」としてネガティブに捉えられている後悔は、実は人間にとって必要不可欠なものである、という。理由は2つ。
 第1に、後悔によって、人間は「あのとき、ああすればよかった」と考える。つまり、ベターな選択肢があったのではないか、と考えるのである。このような思考によって、次に同じような状況に直面した場合に、ベターな行動を取ることが可能になる。
 第2に、後悔によって、人間は自らの価値観を検証することが可能になる。第1がミクロな個々の行動レベルの選択肢が増えていくのに比べて、この第2は、マクロな価値観の転換というレベルの選択肢である。
 非常に納得できる主張である。
 さて、では、それを個人レベルから社会・国家レベルに応用してみよう。このような応用をすると、この問題は「歴史にイフはあるのか」という、おなじみの問いになる。通常は「歴史にイフはない」と言われているが、これは正しいだろうか。茂木健一郎のテーゼをヒントに考えてみてほしい。(4月12日に続く)

●大失敗(2009年4月1日)

 水曜日なので、辰已に授業をしに行ったら、掲示板に授業の掲示がない。てっきり、エイプリルフールで辰已のスタッフがいたずらしたのかと思っていたら、本当に授業がなかった。
 そう言えば春休み期間中だった。次回の授業は4月10日。
 授業がある日に行かない、という事態よりはよかった、と言い訳している。

●東京ドームで見た「プロ意識」(2009年3月31日)

 3月29日、初めて東京ドームに行って、巨人・ロッテ戦を見た。春休みを持て余した息子たちの時間つぶしだったのだが、1つ、感銘を受けたことがあった。
 試合の後、ロッテの選手たちが念入りにストレッチングをやっていた。15分くらい続いただろうか。ベンチの前で、ほぼ全員がやっていた。試合中よりも、むしろ試合後のストレッチングにプロ意識を感じた。
プロフィール

yamamotojuku

Author:yamamotojuku
朝日新聞記者、Z会東大マスターコース講師(小論文)、伊藤塾講師(小論文)などを歴任。現在は辰已法律研究所などで小論文を教えています。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
QRコード
QRコード
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。