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●石川遼の言葉(2009年3月30日)

 アメリカツアーの試合を予選落ちした石川遼がコメントをしていた。「リフレッシュとか言っている場合じゃないと思うんで」。
 新年度を目前に控えた自分自身への言葉のように聞こえた。
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◎「格差」をめぐる学説の淘汰(2009年3月29日)

 昨夜の辰已のガイダンス(辰已のHPのストリーミングチャンネルで近く公開される予定)で、格差社会論・平等理論を解説した。
 格差をめぐり、1980年代には主流だった村上泰亮説、つまり日本は平等な社会で修正する必要がない、という「新中間大衆」論が、2000年前後に批判され、今やそのままの形では維持することができなくなった、というプロセスは、実にエキサイティングだ。まるで格闘技のような学説の興亡である。
 村上説を打ち砕いた佐藤俊樹・苅谷剛彦説は、統計学や社会調査という社会学の手法を駆使しつつ、日本は戦後から現在に至るまで、一種の階級社会であることを立証したのである。
 日本は格差社会である、ということになると、租税政策などで国家が市民社会に介入する必要がある、というリベラリズムの政策が全面に出てこざるを得ない。

◎テルガロン家の強制送還(完)―国家とは?(2009年3月29日)

 (3月19日の続き)
 フィリピン人家族の強制送還について、3月19日では、危害原理からは説明しにくい、ということを書いた。つまり、個人主義のレベルでは、国家の利益にもとづく強制送還を説明することは困難である。
 そこで、正面から「国家の利益」を導入したうえで、利益衡量をすることになる。
 片方に、入国以来、地域社会において落ち着いて市民生活を営んできた家族の在留の利益(個人的利益)がある。もう片方に、国家の利益がある。
 では、その国家の利益とは何だろうか。これを説得力ある形で説明できれば、例えば小論文試験でや面接で、強制送還を支持する立場に立つことが可能となる。
 テルガロン家の場合、のり子さんは、仮に日本が出生地主義にもとづく国籍法を取っていた場合、自動的に日本人になる。つまり、アメリカの国籍法の原則で考えると、少なくとものり子さんは自国に滞在する権利が自動的に認められる。その結果、自国民の家族として両親にも少なくとも在留が認められることになる。
 ヨーロッパの考え方からすれば、日本と同じく血統主義を採用していることから、のり子さんは自動的には日本人にはならない。ただ、①ヨーロッパ人権裁判所の判例などで「家族結集権」が徐々に人権化している、②子どもの権利が憲法化している、という憲法状況があるため、ヨーロッパではカルデロン家は、国内救済を尽くしたうえでヨーロッパ人権裁判所において、少なくともいい勝負ができる。
 カルデロン家の問題は、そもそも国家の行動は、「法があるから」という形式的説明で正当化できるか、という問題とも関係する。
 入国管理局を支持する場合、法実証主義(法があるから)にとどまらない説明が求められるのである。

◎ロースクールの定員(2009年3月27日)

 私のHPの見方が悪いのかもしれないが、ほとんどのロースクールでは、まだ2010年度入試(次の入試)の募集人員が発表されていない。
 慶応はHPに出ている。既修・未修合計で260人。未修80、既修160。激変はしていない。
 未確認の情報だが、募集人員については、文科省の行政指導が入っているという。各ロースクールの募集計画が明らかになれば、行政指導の内容も明らかになっていくことだろう。
 慶応の他のトップ校の募集人員の削減幅を注視していきたい。

○格差社会を考える(2009年3月27日)

 あす28日、辰已法律研究所でケーススタディ編のガイダンスを実施します。
 昨年末の「日比谷派遣村」以来、格差社会を論じることが一種のファッションになっていますが、一部のジャーナリズム、そしてアカデミズムではそれ以前から格差は問題として指摘されていました。特に、「教育と階層」というテーマは、社会学、教育学の中で10年の積み重ねがあります。
 ロースクール入試で最頻出テーマである格差・平等について、どのように問われてきたのかを28日のガイダンスで検討します。
 格差・平等をどう理論的につかむかを中心に講義をします。また、ロースクール入試でクローズアップされているもう1つテーマ、犯罪社会・排除論についても言及します。
 3月はじめのガイダンスでは、日程がWBC東京ラウンドとバッティングしましたが、今回はサッカーワールドカップ予選とバッティングしてしまうのが気がかりです。

○WBCを見て(2009年3月26日)

 山あり谷あり、のWBCを見ていると、ロースクール入試を戦ったかつての受講生たちを思い出した。今回のイチローのように、最初はまったく結果が出ず、悩み続けた末に栄冠を勝ち取った、というパターンの人は、数多くいた。
 ロースクール入試は、野球の打撃と似ている。打率10割の人は、まずいない。ほとんどの人は、スネに傷を追いながら、転んでは立ち上がって努力を重ねる。昨年の例を見ても、私が知っている東大合格者(かつ、3校以上を受験した人)を思い起こしてみると、受験したロースクールすべてに合格した人は、皆無である。みんな、どこかで落とされて、一度はスランプを迎えている。
 あきらめずにできることをやる。これを続けることができる人が結果を出す。
 私は、精神論はあまり好きではないが、たまにはいいか、と思って、今回はハートの話を書いた。

◎高校教育における小論文(2009年3月26日)

 ブログに関してはこのところ、スランプである。年度末の様々な事務に追われて、書くことがおっくうになっている。少しずつ、できるだけ毎日書くことを目標にしたい。
 さて、新年度が近い。私は新年度は、従来のロースクール小論文の講義・ゼミなどに加えて、高校生を対象にした小論文の指導を充実させることを目標にしている。
 Z会東大マスターコースにおいては、慶応大対策の講座において、これまでロースクール小論文で培ってきたノウハウを注ぎ込んでいく。また、高校における大学受験小論文の補習をお手伝いする話がいくつかの高校との間で進んでいるが、これも私にとって、2009年度の新規の仕事となる。ロースクール入試を指導していると、高校、大学において、いかに社会科学が教えられていないかを痛感する。高校では社会科は「暗記物」としてバカにされている。そして大学教養課程では、体系的な授業をする教授はごく少数。多くの一般教養の社会科学系の講義は、その教授の狭い専門分野を、講義目次やレジュメもなく、ただ語る、というものである。これは、教える側にとって楽だ。本来であれば、大学1年、2年のうちに、網羅的に社会科学を学んでおかなければならないのに。
 このような高校・大学における社会科・社会科学の教育をなんとか変えていきたい。高校生、大学生に直接、社会科学の基礎を教える機会をできるだけ多くつくっていくことが新年度の目標である。

●WBCのアナウンサー(2009年3月23日)

 日本チームがWBCで勝ち進んでくれているので、楽しみが増えている。明日の日韓戦も見逃せない。苦労が多い自営業だが、時間に融通がきくため、野球を飲みながら昼からビール、という生活ができるのは、サラリーマン時代には味わうことができなかった「自由」である。
 さて、一連のWBCの放送を見ていて思ったことを1つ。テレビ朝日がやっていた東京ラウンドはよかったのだが、TBSが放映するアメリカ・ラウンドのアナウンサーが絶叫調で、困ったものだ。明らかにアナウンサー自身が興奮してしまっており、よく事実関係(選手の名前や、得点の経緯)を間違える。アナウンサーはいわば、司会進行役。自分が楽しんでしまってはだめだ。
 私も、自分が興奮しやすい性分なので、注意しなければ、と思う。受験対策の予備校の講師は、放送でいえばアナウンサーである。オーディエンスを冷静にリードして、正確な事実を伝えることが役割である。過去問に現れている受験の傾向などが、いわば「試合」。そして、この「試合」を観て、冷静に状況を分析して「オーディエンス」である受講生に伝えるのが私の役割である。そして、入試の場合は、「オーディエンス」が翌年は「選手」になるのだから、私の責任は重大だ。
 絶叫調にならず、落ち着いて事実を伝えていきたい。

◎エジプト(完)―児童労働について(2009年3月20日)

 エジプトで、じゅうたん工場を訪ねた。工場見学をしたうえで、日本よりは安価でじゅうたんを買うことができる、という。
 工場では、小学校高学年から中学生の年齢の子どもたちが働いていた。工場に通って、夜に夜学に行く。そして、1日につき1ポンドを受け取る、というシステムらしい。
 案内された工場内部では、織機の前に10人ほどの子どもが座り、手作業でじゅうたんを織っていた。
 子どもを使う、というシステムにじゅうたんの安さの秘密がある。児童労働という言葉で考えると、少し問題の本質が見えてくる。このじゅうたん工場は「カーペット・スクール」と呼ばれている。確かにじゅうたんの織り方を習うことができる、という意味では「スクール」かもしれない。しかし、実質は「スクール」というよりも「チルドレン・ファクトリー」だ。このシステムは近年、成功を収め、エジプト国内に「カーペット・スクール」は増えているという。
 ここで子どもたちは1日8時間働く。日本では間違いなく違法だ。国際正義という考え方からすれば、ここのじゅうたんを買ってはいけないのだろう。しかし、ここの子どもたちは、もし「カーペット・スクール」がなければ、学校に行かせてもらうことができず、農作業などの労働を自宅でさせられている可能性が高い。エジプトの就学率は半分程度、という。とすれば、ここで職を得て夜学に行くというのは、ベターなことなのだろうか。
 装飾用の小さいじゅうたんを買ってしまったあとで、このようなことを考えた。失敗した。後味が悪かった。

◎エジプトの宗教とビジネス(2009年3月19日)

 エジプトのルクソールのホテル付近の銀行で両替をしてもらおうと、午後6時に銀行の両替センターの店頭に行った。営業時間であるはずなのだが、だれもおらず、銀行は閉店している。トイレにでも行ったのか、と思って、しばらく待ってみたが、戻ってこない。近所の美容院に「なぜ銀行は閉まっているんですか」と尋ねると、「モスクで祈っている」という。
 祈るために店を10分、20分くらい閉める、ということは当然のことらしい。日本で社会人をしていると、もし仏教徒が念仏を唱えるために20分間、職場を離れれば、社会的に批判されるのではないだろうか。日本のキリスト教徒がお祈りするために店を閉める、ということがありうるだろうか。日本なら、おそらく公私混同、として認められない。
 ブティックのおにいちゃんも、すごく今風の、20歳くらいの人なのだが、お祈りの時間には職場を離れてモスクに行っていた。戻ってくると「人間のためにビジネスがあるのであって、ビジネスのために人間がいるのではない。だから私は今、モスクに行っていました」と語った。実に説得力がある言葉だった。エジプトでこのような言葉を聞くと、ビジネスを最優先にする日本の方が異常なのではないか、と思えてくる。

◎テロガロン家族の問題を原理的に考える(2009年3月19日)

 フィリピン人のテルガロン家族の問題を考える際、社会科学の基本から考えてみたい。まず、この家族が日本に滞在することは、他者を加害しているだろうか。(J.S.ミルの危害原理からの問題提起)。
 だれか個人を個別具体に害しているか、と考えると、害していない、と言わざるを得ない。とすれば、なぜテルガロン家の3人は日本に滞在することが許されないのだろうか。

●ブログ100号、拍手「2000」突破!(2009年3月17日)

 ブログが100号を突破、拍手が2000を超えました。閲読、ありがとうございます。今後も「ほぼ毎日」をめざして、執筆を続けていきます。

◎書店での出来事(2009年3月17日)

 久しぶりに東大生協の書籍部に行った。新学期に向けていろんな新刊本が出ていたため、案の定、箱いっぱい買い込んでしまった。
 社会科学コーナーでは、民事法のある有名教授が本を物色していた。私が尊敬している教授である。「あ、これも出ていたのか!」と独り言を言いながら、嬉しそうに本を手にとっては立ち読みしていた。彼がその時、手にとっていたのは、自分の専門領域の本ではなく、歴史や哲学、思想の書棚に棚揃えしてある新刊本だった。
 やっぱり。最先端の研究をしている教授たちは、専門分野に閉じこもらず、広く社会科学一般に関心を持ちつつ社会科学の成果を自分の研究に取り込もうとする。
 ロースクール小論文の出題者は公共哲学・法哲学の教授である、という説が一時、受験界で流れたことがある。しかし、必ずしもそうではないようだ。出題される過去問を見ると、政治哲学、法哲学系の問題が並んでいるために、そのような説が流れたのであろう。しかし、きょう私が東大生協で会った民事法の教授のように、実定法バリバリの教授であっても、政治哲学・公共哲学分野の最先端の議論をしっかりフォローしている。したがって、仮に実定法の教授が小論文を出題しているとしても、最先端の社会科学理論を背景にした出題がなされることになる。

●情報が飛び交うロースクール(2009年3月17日)

 昨日の「ロースクール新1年生向けサバイバル企画」で、新3年生、新2年生にパネラーになってもらった。まさに情報合戦の様相を呈しているようだ。
 様々な情報が飛び交う。人間関係もなかなか難しい。何を勉強するのか、なぜ勉強するのか、を考えながら、常に勉強方法を革新していく他ない、というのが結論だったように思う。
 参加した新1年生の皆さんが、1年間を無事にサバイバルすることを心から祈らざるを得ない。

◎エジプトの市場経済(2009年3月17日)

 エジプトでは、何を買うにも交渉が必要になる。つまり、売る側は必ずふっかけてくるために「言い値」で買っていると、相場よりも格段に高い価格で買わされてしまうのだ。見方によっては、「一物一価の法則」が通用しない、ともいえる。ただ、マクロ的に見ると、そのような個別の交渉の集積をマクロ的に見て、平均値を取ると、適性価格が存在する、といえるのかもしれない。
 個別の売買にすべて交渉が必要となる、という市場(マーケット)では、交渉能力の違いが結果を大きく左右する。
 たとえば、おみやげのTシャツの買い物。バザールの路上で「いくらか?」と聞くと、「15ポンド」という。(1ポンドは18円)。支払は中で、ということで、店内に入ると、紅茶が出てくる。そして「では、50ポンド」と店主は言う。「え? 15と言ったはず!」。「いや、50だ」というやりとりになる。私はアメリカやイギリスで「フィフティーン」と「フィフティー」を言い間違ったり聞き間違ったりしたことは一度もない。明らかに彼らの駆け引きである。ここから交渉がスタートする。
 最終的には20ポンドで折り合った。エジプトでの買い物は常にこのようなやりとりになる。
 トイレに入る時のチップも然り。相場では、飛行場やレストランのトイレに入る際には1ポンドのチップを払う。しかし小銭を持っていない場合は困る。掃除のおじさん、おばさんは、小銭を常にもらうわけだから、お釣りを渡すのは訳ないはず。そこで「10ポンドを渡すから、9ポンドのお釣りが欲しい」と言って10ポンドを渡したら最後、お釣りはもらえない。「さっき、おつりをくれる、と言ったはず」とこっちが言っても「う~ん、お釣りがない。ごめんね」と言われてしまう。10ポンドとお釣りの9ポンドを「同時履行」でやりとりしないと、お釣りは戻ってこない。
 このような「市場経済」では、「強い個人」を常に演じないと損をしてしまう。慣れてしまうと問題ないのだろう。そういえば日本でも大阪では値切るのが当然、ということを聞く。ただ、エジプトと比べると、大阪の商人はおとなしい。

◎フィリピン人家族の強制退去(2009年3月16日)

 フィリピン人一家の強制退去問題がニュースになっている。結論としては、一家の中学1年生の娘、カルデロンのり子さんのみの在留が認められ、父母は不法滞在を理由に強制退去となることが決まった。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090313-00000562-san-soci

 受験生から、「外国人には出入国の自由がないから、一家の在留は認められないのでは」という質問を受けた。
 伝統的(つまり、古い)憲法学では、外国人には、出入国の自由、参政権、社会権が認められない、ということになっており、芦部憲法にもそのように書いてある。しかし、この「テーゼ」は近年、強い批判を受けている。
 カルデロン一家の側に立って立論する場合、どのような議論が可能だろうか。法的議論にとどまらず、社会科学的、小論文的に論じてみることにしたい。(続く) 

エジプトの「労働基本権」(2009年3月15日)

 エジプトでピラミッドを作ったり、王の墓をつくったりする際は、人民を動員していたわけだが、彼らには「労働基本権」が認められていたことが記録に残っている。
 子どもが病気になった、二日酔いで気分が悪い、などの理由で労働を休むことが認められていたという。また、当時の労働は報酬としてパンとビールが支給されたのだが、支給が遅れた際には、ストライキをしたことも記録に残っている。
 このようなことを知ると、今の日本の労働者の状況はいったい、何なんだろう、と思ってしまう。私も13年間、労働者をしていたわけだが、子どもの病気や二日酔いで仕事を休むことは日本社会では到底、認められない。数千年の時を経て、人類は本当に進歩しているのだろうか。それとも、日本が特殊なのだろうか。

◎エジプトの多文化主義(2009年3月13日)

 エジプトの土産話は、ドクターコールだけではない。旅程の最後の日、オールド・カイロのキリスト教地区を訪れ、原始キリスト教の流れを汲む「コプト教会」のミサに参加することができたのは新鮮な経験だった。
 コプト教会は、ローマ帝国時代に、カトリックの公会議で「異端」とされた教派だ。カトリックが採用した「三位一体」のうち、キリストの人間としての要素をコプト教会は否定し、キリストの神性を重視したために、異端とされてしまった。
 このコプト教会は、その後、現在に至るまでエジプトの地で生き残っている。私はてっきり、エジプトはイスラム国家であり、ほとんどの国民はイスラム教徒だと思っていた。しかし人口の10%は現在、キリスト教徒だという。イスラム教は他の宗教に対して寛容だったことを示すものだ。イスラム教の聖日は金曜日、キリスト教の聖日は日曜日。イスラム教徒は豚肉を食べない、など、習慣が様々な点で異なるにもかかわらず、2つの宗教文化が共存していることに驚かされる。
 多文化主義は20世紀の後半になってもてはやされているが、人類の歴史は多文化共存の歴史だった、という見方もできそうだ。

○ドクターコール―エピローグ(2009年3月12日)

 4月からロースクールの1年生になる人から、ドクターコールについてメールをもらった。先日の旅行でヨーロッパから日本に戻る途中、飛行機の中で具合が悪くなり、ドクターコールに応じてくれた医師の診察を受けた、という。必ずしも日本の医師が皆ドクターコールに応答しないというわけではないようだ。「ヒポクラテスの誓い」や「ジュネーブ宣言」に忠実な医師が存在していることを具体的に知らされると、安心する。ただ、医師が法的に不安定な地位に置かれたままボランティアをしている、という状況を放置することは、法律家の怠慢であろう。

◎小沢事件4(完)―朝日新聞と検察(2009年3月12日)

 3月に入って、朝日新聞の記者数人と会う機会があった。私がこのブログで書いている内容は、かなり思い込みがあり、朝日と検察の距離はそれほど近くない、という批判をいただいた。検察取材では、最近の朝日はむしろ弱く、読売の存在感が大きいという。
 内部の人たちが言うのだから、そうなのだろう。検察と朝日がチームを組んでいる、という表現は言い過ぎだったのかもしれない。ただ、それでも私の主張の根本は変わらない。仮に朝日と読売の検察取材の力が拮抗しているとしても、検察がリークを通じて、世論操作をなしうる地位にあり、今回については、政権交代を阻止するタイミングでの捜査になっている。むしろ、検察が複数のメディアを手玉に取る形で、自由自在に情報をリークして世論操作をしている、という事実は同じどころか、1社が検察とチームを組んでいるよりも、ひどい状況なのかもしれない。
 今何が問題(issue)か、というアジェンダ・セッティングを検察がやっているのが不気味だ、という趣旨の発言を、朝日のベテラン経済記者、山田厚史が「パック・イン・ジャーナル」で繰り返していたが、私も同感である。
 状況がこうなった以上、小沢としては選挙に向けて最も効果的な時期に代表を辞任する、というのがベストな対抗策、ということになるだろうか。
 最新号の『サンデー毎日』が、小沢事件をめぐる検察の動きについて、検察幹部の実名を挙げつつ詳報している。

◎小沢事件3―自然犯と行政犯

 小沢事件で、どうもしっくりこない理由は、今回の立件が、行政犯だからというのが大きい。行政犯というのは、自然犯の反対概念である。自然犯の典型は、殺人罪や窃盗罪。だれが考えても悪い。しかし、行政犯は、一目瞭然に悪い、というわけではない。したがって、行政犯処罰は法実証主義からは正当化されやすいが、自然法主義からは正当化されにくい。
 政治資金規正法をみると、例えば経団連から政党への献金はOKだ。今回の小沢事件も、政党支部への献金、という形式を取っていれば違反にならなかった。また、企業献金にしても、個人献金との区別は相対的である。企業経営者個人からの献金は問題がない。にもかかわらず、政治資金規正法では、企業から政治家への献金だけが禁止されている。癒着が生まれる蓋然性に基づいた禁止規定であるが、これは行政犯であり、市民には分かりにくい。
 となると、ますます検察は、なぜ選挙が見えてきた時期に摘発をしたのかについての説明責任がある、と言わざるを得ない。また、検察のマスコミに対するリークについても説明しなければならないだろう(マスコミへのリークは、公務員の守秘義務違反である)。
 もっとも、自然犯と行政犯の区別は相対的であることにも注意しなければならない。

●3月16日の場所・時間決定(2009年3月10日)

 ロースクール新1年生向けの「サバイバル企画」(ロースクールの先輩との懇談会)の場所と時間が決まりました。場所は池袋の会議室。午後6時から。8時をめどに場所を高田馬場に移して約2時間、懇親会。参加費用は、飲み放題の懇親会付きで3500円です。
 すでに申し込みをしている人で私から今日メールが来ていない人は、連絡してください。なお、まだ申し込みをしていない人でも、あと2、3人なら場所に余裕がありますので、参加希望であれば私にメールしてみてください。

●しんどい時は逃げる(2009年3月10日)

 エジプト旅行から帰国した後、気温差、時差ボケなどから少し体調を崩し、さらに辰已の講義の開講が重なって、ブログを書く気持ちになりませんでした。こうなった時は、逃げるのが一番。数日、ブログをサボってしまいました。
 ちなみに、「しんどい時は逃げる」というのは、私の信条です。周囲に迷惑をかけることもあるかもしれません。大迷惑は確かにヒンシュクですが、小迷惑なら周囲に我慢してもらうことも時には重要、と勝手に考えています。
 きょうあたりから徐々に気力が回復し、パソコンに向かっています。
 辰已の「ケーススタディ編」は無事に開講し、予想を超える受講生が集まってくれました。これから半年、しっかりと小論文のコンテンツを講義していきたいと考えています。

●ロースクール新1年生向け企画の日程・場所(2009年3月7日)

 ロースクール新1年生向けの「サバイバル企画」(山本塾主催)の日程は、16日夜です。3月10日に参加申し込みを締め切ります。ロースクールに在学している先輩を3人程度お招きし、ロースクールの授業や生活の様子、サバイバル方法などを話してもらいます。
 場所は週明け(10日目標)に決めて、このブログでお知らせします。高田馬場からあまり遠くない立地で探しています。

●ケーススタディ編あす開講(2009年3月6日)

 辰已法律研究所のロースクール小論文講座ケーススタディ編が、あす開講する。今日は2回目の無料ガイダンス。近年、頻出しているグローバリゼーションをテーマに、過去問で何が問われているのかを解説する授業を行う。ガイダンス1回目を実施した一昨日に続いて、WBCと競合してしまった。企画の日程としては得策ではないが(せめてきょうの昼にすればよかった!)、WBCとの「利益衡量」の末、私のガイダンスに来てくれた人たちのために、ベストの講義をするつもりだ。
 今週は、ガイダンスのテキストを2冊、ケーススタディ編のテキストを2冊、そして基礎テーマ編の講師答案集の仕上げ、とテキストの校了、印刷が5回あり、かなり厳しい日々だった。テキストにミスが出ていないことを祈るような気持ちだ。小論文という科目は、受験界でまだ方法論が確立していないので、内容部分をアルバイトに任せることができず、基本的にすべてを一人でやらなければならない。テキストづくりもほとんど一人でやっている。この点、法律科目がうらやましくなることがある。新司法試験合格者が、司法研修が始まるまでの間、予備校でアルバイトをしていることはよく知られている。数年間、法律漬けの生活を送り、体系と知識が頭に入っているのであれば、一定範囲の仕事を任せることができるが、小論文の場合は、受験生の大半は長くても1年間の勉強でロースクールに合格する。結局、大半の部分は私がやることになる。

◎小沢事件2―なぜピンと来ないのか(2009年3月7日)

 小沢事件。もし、現在の主要メディアの報道が事実であれば、つまり、検察からのリーク情報が事実であれば、少なくとも秘書は、献金の実体が西松建設からの企業献金だったことを認識していた、ということになるだろう。
 しかし、なんとなくピンと来ない。仮に企業献金であることを認識していた、としても、小沢の秘書、及び、小沢本人が「悪いこと」をしているのかどうか、実感として訴えるものがない。
 なぜだろうか。例えば、小沢が殺人をした、傷害事件を起こした、窃盗をした、というのなら、直感的に「悪い」ということになる。しかし、今回の事件はどうだろうか。
 この点は、大学の法学部の一年生の「法学入門」の授業で必ず教えられなければいけない、法学入門の入門、イロハのイである。本当であれば、高校の現代社会、倫理、政治経済でも必ず教えられなければならない知識である。教えられなければ、今回のような事態を市民として判断することができない。

◎ドクターコール3(完)―良きサマリヤ人法(2009年3月6日)

 ドクターコールに応じた太郎が困惑したのは、自分に責任が降りかかってくるからである。「良きサマリヤ人法」が日本にないからである。そして、そのような状況を嫌う医師たちは、ドクターコールへの応答をしない。
 市民社会(共同体)において、ドクターたちがドクターコールをしない、ということは、諸個人たちにとって損なのではないか? しかし、ドクターたちは、オフの時間にドクターコールに応答する義務はない。近代個人主義、権利・義務関係からは、解決不可能な問題である。ポストモダン的な理論の「補助線」を引くべき局面である。
 昨夜(3月5日)、および明日(3月7日)のガイダンスで、この問題を解説している。昨夜のガイダンスは、すでに辰已のHPに動画がアップされている。テキストも近くアップされる。

 http://www.tatsumi.co.jp/stream/index.html#houka

 3月7日のガイダンスでは、東大2007過去問(ドクターコール)の講師答案も配布することにしている。

○小沢事件1―小沢の系譜と検察(2009年3月5日)

 今回の小沢第一秘書の逮捕の意味づけは、このブログで2月に数回扱った中川泥酔会見などよりも遙かに難しい。
 昨3月4日、朝日新聞社会部の夕刊特ダネで始まった逮捕報道。数年に一度、必ずある検察・朝日の連携プレーである。今年の新聞協会賞は決まり、という感じがする。このニュースに関しては、朝日が圧倒的に先行しており、検察の内部情報については、朝日を読んでおかないとフォローできない。しかし、その反面、このニュースについては、朝日の社会部は、検察の「広報機関」化している、という側面もある。
 時事の報道のように、大久保秘書が直接、西松建設に「請求書」を渡しており、それを特捜が押さえているのなら、小沢サイドはかなり苦しくなるだろう。ただ、このような状況下では、抜かれた社は、飛ばし気味に確認が不十分のまま、失地回復のために何でも書くことが多いので、これも真偽はまだ分からない。
 検察・朝日チームによる金丸自民副総裁の「金の延べ棒事件」の摘発・報道を思い出す。特捜報道の特ダネ合戦の間は、検察リークをそのまま書くことにならざるをえないが、週末あたりからは、事件の全貌や背景をえぐる記事を掲載してほしいものだ。1つの社が特ダネを打つ場合、それは、ただ少し早いだけ、ということを意味しない。特ダネを打つ社は圧倒的に先行している。それだけに、権力を監視する、という役割も忘れてはならない。政治資金規正法に違反しないかどうかについては小沢側に確かに説明責任があるが、選挙前の政治家側の摘発、という掟破りをしなければならない理由(なぜ選挙後ではダメなのか)については、検察側に説明責任がある。

◎ドクターコール2―迷う医師(2009年3月5日)

 さて、私が乗っていた2月23日成田発カイロ行きのエジプト航空では、ドクターコールに名乗り出た医師はいなかった。元々医師がいなかったのかもしれないし、医師がいたにもかかわらず名乗りでなかったのかもしれない。論理的には2つの可能性がある。
 そこで、ここでは、小論文の論点を検討するために、仮設事例として、医師が名乗り出なかった、ということにしておこう。
 なぜ、医師は名乗りでないのだろうか。事実、ドクターコールに対する医師の応答率は低い、という。
 本日、3月5日夜の辰已の「ロースクール小論文講座ケーススタディ編 ガイダンス①」で、東大2007年度の過去問とエジプト航空における私の経験を絡めて、ドクターコールについて、詳細に検討することにしたい。
 仮に、エジプト航空に医師が搭乗していたとすると、患者が目の前にいたのに、あえて名乗り出なかった、ということになる。一方、東大の過去問の「太郎」は、ドクターコールに名乗り出たものの、困惑した。2つの事例の背後には、共通の問題がある。医師たちは、一部の例外を除いて、人命を救いたいと思っているはずだ。そのような教育を受けているし(ヒポクラテスの誓い)、日常的に人命を救う習性を身につけている。にもかかわらず、名乗り出ることができなかったり、困惑せざるをえない状況がある。そのような状況とは何かを書かなければ、東大過去問の解答にはならない。
 ちなみに、飛行機内に設備やスタッフが揃っていない、という事実や、自分の治療次第で患者の人命が左右されることは、解答(応答拒否や困惑の原因)ではない。

◎飛行機内のドクターコール1(2009年3月4日)

 2月23日以来、エジプトを旅行してきた。数年ぶりの海外は、なかなか刺激的だった。
 まず行きの飛行機。カイロ行きのエジプト航空。片道12時間で到着するはずが、なぜか成田から7時間ほど経過したところで、「着陸態勢に入ります」という機内アナウンス。乗客の中に、喘息の発作が出た人がいて、命の危険があるために、カザフスタンのアルマアタ空港に緊急着陸する、という。
 そう言えば、この緊急着陸の前、3回ほど、機内にドクターコールのアナウンスが流れた。「乗客の皆さんの中に、お医者様か看護師の方がいらっしゃいましたら、乗務員までご連絡ください」。
 ドクターコールが繰り返し流れたことからすると、結局のところ、名乗り出た医師、看護師はいなかったようだ。最後には「喘息の発作の薬をお持ちの方は乗務員まで連絡をください」という苦肉の策の機内放送まで流れた。
 さて、このドクターコールだが、東大ロースクールの小論文過去問に出題されている(2007年度入試)。
 東大の過去問の中に登場する医師、太郎は、フランスから日本に帰国する機内でドクターコールに応答。急遽、治療することになった。飛行機がシベリアに差し掛かる時、キャビンアテンダントから「ここから先に行くと引き返せなくなりますが、大丈夫でしょうか」と尋ねられた太郎は、困惑した。
 そこで、東大2007の問題は、以下のように問いかける――「太郎はなぜ困惑したのか」。
プロフィール

yamamotojuku

Author:yamamotojuku
朝日新聞記者、Z会東大マスターコース講師(小論文)、伊藤塾講師(小論文)などを歴任。現在は辰已法律研究所などで小論文を教えています。

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